なぜバクティを伝えるか

ヴェーダの結論 バクティ(ラーガ・バクティ)を伝える理由

私には、学生時代から7つの疑問がありました。

それらは以下のような疑問です。

【人生の7つの疑問】

1.いったい自分は何者なのか?

2.自分は何によって支配されているのか、神は、いるのかいないのか?

3.苦しみたくないのに、なぜ苦しむのか?

4.死後はどうなるのか?

5.苦しみから抜け出すには、どうしたらよいのか?

6.人生の目的は何か、何をすれば心から 満足するのか? 

7.人生の目的を達成するにはどうしたらよいのか?

この疑問を解くために1万冊以上の本を読み、1万人以上の人に会いました。

でも、この回答を与えてくれる人は、日本では見つけられませんでした。

学校を出て、出版社に務めているときに、偶然出会ったのが、

『バガヴァッド・ギーター』というインドのヴェーダ教典でした。

この本から、私の疑問は、みるみるうちに解けていきました。

それで、このヴェーダをそのエッセンスを極めてみたいという

気持ちになり、バクティ・ヨーガを学ぶ気持ちになったのです。

あとでわかったのは、このインドのヴェーダ教典は、

宇宙と人間の取扱説明書であるということでした。

その後、無理を言って会社を辞め、24代続く、家督を放棄して、

友人関係も絶って、お寺に入って修行しようとしました。

24歳の時です。

それから、お寺に入り、しばらくして托鉢布教の旅に出ることになりました。

ほぼ日本全国を周り、インドの聖地巡礼にも何回も行きました。

そうして、日本とインド時には、アジア諸国、アメリカなど諸外国も

訪問して布教や修行を繰り返して行く内に、

気づいたら数人の師から学び、

数百冊ものヴェーダ教典やその解説書を学んでいました。

そして、若いとき抱いた

ほぼすべての疑問は解消されました。

何人かの師匠につきましたが、

最後に自分に不足していたものを尋ねる前に

師が他界してしまったのです。

50歳を過ぎて、日本で、特別、説教する機会もないので、

インドの聖地ヴリンダーヴァナに隠遁して、

バジャーン(マントラを唱え瞑想すること)をして、

翻訳をしてすごそうと考えてました。

仕事も辞め、所持品も極力整理して、インドに渡りました。

そうして、友人からサンスクリット語や教典を学んで行く内に、

友人を介して、サードゥ・マハーラージャにお会いする機会を得ました。

それが2013年です。

それからマハーラージャのいらっしゃるムンゲールラージャ寺院

毎日行くようになり、いろいろな話をするうちに、

翻訳の激励とともに、詳細な真理について聞く機会が増えました。

そして、ある時に、

以前のグルから伝授していただいていなかった点についてお話すると、

それを伝授してくださるというではありませんか。

それで私はマハーラージャを友人としてではなく、

師匠として受け入れ、

秘伝を頂戴しました。

すると、マハーラージャは、私に日本に行って、この知識を分け与えなさい。

ラーガ・バクティ(バクティ・ヨーガのエッセンス)を分かち合いなさい

との指示と祝福をくださいました。

それに前後して、不思議なことに、

インドにいながらも、日本でお話する機会を与えられるようになりました。

これが、師の指示と祝福のもとで、

日本でお話させていただいている理由と事の次第です。